本作を制作することになったきっかけは?
『独裁者と小さな孫』の脚本は何度も推敲が重ねられ、物語もそのたびに生まれ変わりました。しかし、元々のアイデアは、8年ほど前、滞在中のアフガニスタンで廃墟と化したダルラマン宮殿からカブールの街を眺めている時に思いついたものです。突然、こんなふうに思ったのです。例えばもし大統領が子供を抱きながら宮殿の大きな窓から“彼らの”街を眺め、遊びで街じゅうの明かりをつけたり消したりして絶対的な権力を示すことで、その子を楽しませようとしたら。そして不意に、その明かりが消えたままつかなくなってしまったら、どうなるだろうかと。その時の空想が、のちに本作の物語となったのです。
その後、“アラブの春”のさなかに脚本を書き直したのですが、当時行われていた様々な革命から多くのことを学びました。独裁者たちが独力で国家の悲劇を生み出せること、その結果として政権崩壊と革命がもたらされたこと。そして、暴力による革命がさらなる悲劇を生み、そこから新たに独裁主義や暴力、暴政が行われていく様を目にしました。

なぜ架空の国を舞台にしたのですか?
本作は、過去に様々な国で起きた出来事を反映していますし、残念ながら、それらは今後も起こり続けることでしょう。場所が違っても、そこには様々な共通点があります。まず独裁者がいることです。彼らは何の罰を受けることなく国民を苦しめ続け、結果的に独裁政権を崩壊に至らせます。そして政権崩壊後、革命中にさらなる暴挙が行われ、ここでも暴力によって同様の事態が生じてしまうのです。
私はこれらの要素をひとつ残らず物語に取り込み、どの国でも起こり得る話として描くことを目指しました。またこの他にも、このような苦難と悲劇に対する2つの洞察を示そうとしました。まずは独裁者によって国民にもたらされた悲劇。そして暴力革命に関わった者たちによってもたらされる流血と新たに起きる悲劇をお見せしたかったのです。
あとは個人的な部分で言うと、長い間、様々な国で生活をする中で、もはや心が1つの国だけにとらわれなくなったというのが理由です。シリアでの悲劇を耳にしても、リビア、エジプト、イラン、イラク、アフガニスタンや、その他のどの国で起こった悲しい出来事を耳にした時と同じように感じるのです。

このような革命は混乱や暴力へと発展することが“運命づけられている”と思いますか?
独裁者は権力を簡単には手放しませんし、それを守るために血を流すことをいといません。一方、民主化を求める人々は目的を果たすためなら、本意でなくとも暴力に訴えるでしょう。しかし勝利を手にした瞬間に、大抵はまた、勝利を象徴づけた同じ暴力行為によってもたらされる新たな悲劇に直面するのです。
ですから、ある意味で革命以前に存在していた暴力は、何らかの形で革命後に引き継がれていると言えます。そして悲しいことに、多くの人々や国々が、この途切れることのない負のサイクルから抜け出せなくなっているのです。
残念ながら、私たち人間が、この状況を打開するためのよりよい文化を築けない限りは、悪しきループを断ち切ることはできないでしょう。この映画を作ることで、小さくとも新たな文化を築く足掛かりになればよいと願っています。

2人の主人公―落ちぶれた独裁者と純真な心を持つ子供―の観点によって本作で示されていることとは?
大統領の罪なき5歳の孫息子であるダチは、独裁君主の中に潜む純粋さと見てとることができます。大統領も人間であることには変わりなく、どれほどの悪事を働こうと、昔は同じように純粋無垢な少年であったという確固たる事実があります。このバランスと双対性は、本作が暴力を使わない解決策を提示する上で欠かせないのです。
それから後悔の念です。孫息子は次々と悲劇を目撃するたびに、祖父である大統領に質問を投げかけるのですが、これらの質問に答えることは、その事態を招いた張本人にとっては決まりが悪いことです。しかし孫息子の質問に向き合うことで、彼は人間性を取り戻していくのです。

本作はジョージアで撮影が行われ、監督の映画作りにまた新たな国が加わったわけですが(アフガニスタン、インド、イスラエル、タジキスタンなど)、なぜこのように様々な舞台で撮影されるのでしょうか?
これまで10ヵ国で撮影を行いましたが、それぞれの映画を作る上で、最低でも2~3ヵ月は現地に滞在します。その結果、どこにいても人間は同じであり、同じような苦しみや夢を共有しているということを痛感するわけです。このグローバル化した世界では、かつてないほど様々な文化が影響し合っています。そしてある意味で、人間同士がより近づいているのです。本作で語られている話は、他の多くの国でも同様に起こり得ます。つまり、どの国で撮影をしてもストーリーラインに大きな変更は必要ないはずなのです。

ご家族とは珍しい仕事関係にありますよね。奥様と3人のお子さんも映画監督をされていて、多くの監督作品をご一緒に制作されています。どういう経緯で、身内でタッグを組むようになったのか、またそれによって制作過程にどんな利点があるか教えてください。
私が映画を作る際は、必ず家族が手伝い、学び、経験を共有します。本作では妻のマルズィエが脚本の執筆を、下の娘のハナが編集と助監督を担当し、孫息子役のダチの演技指導と教育係もしてくれました。ダチにとってはデビュー作でしたが、力を合わせて素晴らしい働きをしてくれたと思います。
息子のメイサムは映画の完成まですべての部分で手を貸してくれました。2年前にこの映画の製作に動き始めたのもメイサムでしたし、助手の他、映画のサウンドデザインも担当しています。
一方で家族の誰かが映画を作る際は、私が手を出すことは許されていないんですよ!彼らは自分たちのやり方で独自の映画を作りたいと思っています。ですので、いくら私の映画で経験を積んだとしても、彼らが作る映画は誰のものとも似ていません。例えば、サミラが監督した『ブラックボード 背負う人』や『午後の五時』、マルズィエの『私が女になった日』や『Stray Dogs(英題)』、ハナの『子供の情景』や『グリーン・デイズ』を、それぞれ比べてみれば分かりますよ。

イランやイラン政府との現在の関わりについては?
イランに住んでいた頃は、私の映画は上映を禁止され、厳しい検閲にかけられました。そして私はついに、検閲に抗議するために国を出ることを決断したのです。もし今、イランに戻ったとしたら、殺されないにしても、一生、監獄生活を送ることになるでしょう。自国を離れてからのこの10年の間に、イラン政府に数回、2度はアフガニスタンで、2度はフランスで、暗殺されそうになりました。